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土地に課せられた命運
小布施町は、千曲川に流れ込む松川が作った扇状地に位置する。
この松川は酸性の水が流れており、魚が棲めない。
また、土壌も酸性に偏っていて稲作にも適さなかった。
かつてこの地に住む人々は、稲作に代わる作物を探しあてることが、生きる道を探すことそのものだっただろう。
そして生まれたのが、栗の最高級ブランド「小布施栗」だった。
町を流れる赤い川
酸性の水が流れる松川を航空写真で見ると、真っ赤に染まっていることに驚くだろう。川底の石に酸化鉄が付着し、その独特の景観を生み出している。
美しい川ではあるが、かつてこの土地に住み始めた人々にとっては悩みの種だったに違いない。
今なお町の景観に見られる松川の姿
しかし、小布施の人々はそんな松川と上手に付き合ってきた。たとえば、町を移動しているとそこかしこに見られるこの黄土色の土壁は、松川の砂を混ぜてつくられたものだ。
古くからの建物にも残っているし、修景地区ではこの色をうまく活かして景観にアクセントも与えている。ざらりとした手触りからは、松川とともに生きたこの町の歴史が伝わってくるようだ。
栗の最高級ブランド
「小布施栗」を生んだ土地
町の気候に合い、そして何より酸性の土壌であっても育つということから「小布施栗」はこの地の名物となった。
栗菓子の文化は、文化・文政時代に北信濃の経済中心地として小布施が栄えていたころ、江戸や京都、大阪などから集まった学者、文人によって深められ、これがひいては現在のブランド栗の地位にも繋がっているという。
千曲川に沈む夕日を見ながら
かつて、この地で栗を育てた人々は多くの学者や文人と交流し、「小布施栗」を現在まで続くブランドとして残した。そして今は、「まちとしょテラソ」の館長をはじめとした全国の若い才能が町に集まり、未来へ何を残せるか考えている。町がその誇りを次世代へと繋げつづけているこの姿は、都市生活者にとって、一つの理想ではないだろうか。