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「心地よい町」とは何だろう
「修景」という言葉がある。
小布施の歴史を解いた本では、その意味を「景観に欠けたところがあればそれを補い、不要のものは取り除き、
乱れたところは整えて、一つのまとまりある景観、世界を作り上げること。」と説明されている。
(小布施 まちづくりの奇跡/川向正人 より)
「暮らしたい町」とは何かと
問いつづけること
観光名所と町の機能があつまった小布施町の中心地のことを、町のひとびとは「修景地区」と呼ぶ。高度経済成長に押され、国道はトラックが通れるように整備される中で変わってしまった他の町の景色とは一線を画す、長い歴史に育てられた町の魅力が今なお強く残っている。
この修景地区、そしてそれを作り上げた修景活動を支えたのは、1人の建築家と町民たちだった。
町の機能も、景観も
そこなわない選択
小布施町は、日本中を大きな国道が走り、物流網が整備される流れに逆らったわけではない。それは町を豊かにすることに繋がるからだ。
逆らったのは、その「機能」に町の景観を支配されることだった。建築家、宮本忠長による修景活動では、必要があれば曳家で家を動かし、再建築が必要であればもとの建物のエッセンスを残したという。
国道から隠れた、
栗の小径
修景活動の面白みをもっとも感じられるのが、この「栗の小径」だ。もとはあぜ道で、土蔵や通り門は残し、さらに景観に合わせて古い建物を移築して作られている。
この小径について宮本は「路地、裏通りのような湿っぽい空間が都市には必要です。昔の子供たちは成績表をもらった帰り、(中略)悪いと裏通りを、誰にも会わないように帰ったりしたものです」と語っている。
心地よい町とは何か、
改めて考える時間
心地よい町とは、いったい何だろうか。町は、一人ひとりの住民によって形作られ、住民の求めた形になっていく。もしかしたら私たちの住む町はいつのまにか、景観の主導権を「機能」に明け渡してしまっているのではないだろうか。
宮本忠長と町民、そして町役場が一体となって作り上げた、この稀有な町の景色を眺めていると、そんなことを考えてしまう。